台北から帰ってきたあと、毎月15日に京都の百万遍(知恩寺)で
開催されている手作り市に行ってきました。
初めて行ったのですが、本当に前に進むこともままならない、ゆっくり
商品を買うこともままならない盛況ぶりでした。おしくらまんじゅう状態(笑)
特に自家製パンやお菓子、お団子などをうっているお店は賑わっていて、
昼前には完売しているお店もありました。
ショコラっぽいものを~と思って探索して唯一買えたのはミント&ココアのクッキー。
350円でたっぷり入ってましたヨ(^^)オレンジ村さんのもの。
手作り市ではあまりの混雑ぶりに様子を写真とるのを忘れてしまうほど
でした(^^)
そして、ここでいろいろなことを考えました。
このてづくり市もきっと最初はこんなにたくさんの人ではなかったのだろう
なぁということ。そして、小さな始まりがやがて大きな渦となって共感する人が
増えて集まってきて。ここまでに成長したのだろうなぁと。
集客に悩む大型店舗と対照的なこの風景に、基本に返るべきなんだという
思いがしました。人のエネルギーや熱い想い、いろんなものがそこにはありました。
昔は海の人と山の人が出会う場所に市がたち、そこでお互いのもってきたものを
交換しあう、そんな場所が「市」であったと思います。
つくった人の顔が見えて、どんな想いなのかもわかる。すべてがシンプルなのです。
パーティーをしようと思ったときに、そこの最初の動機ってなんだったのか?
と考えると、「自分が知っているすばらしいものをたくさんの人に伝えたい」
という自分から、どこにつながるかわからないけれどバトンを渡したいような
そんな気分でした。
そうやってつっぱしったので最初のパーティーは大赤字だったわけですが(笑)
自分が渡したと思ったバトンであったのに、たくさんの人からたくさんのバトンが
返ってきました。思いがけないギフトでした。
この最初の会で有料であるにもかかわらず賛同してくれてメンバー登録してくださった方
がたくさんいて、その心強さはこれからも続けていきたいという勇気になりました。
ありがとうございます。感謝してます。
モノの先にある想い、それを私は知りたい。
そして伝えたい。
消費という言葉は、消えるものに費やすという言葉です。国語辞典で調べれば、
第一の意味に、「使ってなくすこと」第二の意味に「品物を生産しないで、食べたり
使ったりすること」とあります。
なんだかむなしい。。。
ただただ買うということに何か違うんじゃなか?という想いがきっと皆さんの胸にも
あるんじゃないでしょうか?
だけど、そのモノに対する人の想いや歴史などそこにのっている何かをを得たとき、
それはお金では買えない満たされた想いになると思いませんか?
